段落2

昭和8年に5年前の「三・一五事件」で国が社会主義者・共産主義者を検挙して拷問する状況を暴露小説「一九二八年三月十五日」を雑誌「戦旗」に発表したプロレタリア文学の旗手・小林多喜二は築地警察署に逮捕され、執拗な拷問で虐殺される事件があった。同月には国際連盟の「リットン調査団」は、柳条湖事件は「不戦条約」に照らして日本の自衛措置とは言い難く、常任理事国の日本の満洲占領は不当との調査結果を出し、日本軍の撤兵を促す勧告決議が国際連盟でなされた。満洲国の存在を否定された満鉄出身の外務大臣の松岡洋右代表は途中で席を立ち、1ヵ月後に国際連盟を脱退した。失意のうちに4月に帰国した松岡外務大臣を待ち受けていたのは国民の大歓声で、新聞には『凱旋将軍』の文字が躍っていた。6月には陸軍第四師団のあった大阪市街の天神橋6丁目交差点で陸軍一等兵の信号無視を曽根崎警察署の巡査がとがめたことに「軍人は警官の命令には従わない」と殴り合いになり、軍側についた憲兵隊が介入して大事件(ゴーストップ事件)に発展し、軍部と内務省(警察)の対立構造が顕在化した。