明治4年の廃藩置県で日本(薩摩藩)と清国に両属していた琉球王国を鹿児島県の下にいれて琉球藩とし、国王の尚泰を琉球藩王に封じることとした。その11月には台湾島に漂着した宮古島(沖縄県宮古島市)の漁民66人のうち54人が現地で殺害される事件が発生した。翌明治5年に横浜港で国交のないペルーの「マリア・ルス号」で非人道的な扱いを受けていた229人の清国人苦力(中国人労働者)が集団脱走して日本政府に助けを求め、政府は人道を理由に清国に身柄を引き渡したが、ペルー政府に逆に日本の被差別部落問題・遊郭の存在を指摘され、外交問題に発展した(マリア・ルス事件)。 明治5年3月に従来の兵部省を廃止して、陸軍省・海軍省が設置された。翌明治6年3月に今度は台湾島の東南海岸に漂着した日本人4人が現地で略奪される事件が発生、日本政府が清国に厳重抗議したが、台湾島民は清国の保護すべき臣民ではないとの返答を受けたことで、征韓論がにぎやかだった翌年のこの年の2月に佐賀の乱があったこともあり、不平士族の突き上げに苦しむ政府は国内のガス抜きに大久保利通・西郷従道(隆盛の弟)の主張に従い「台湾出兵」を実施した。台湾島の西海岸から将兵3650余人が上陸して全島を支配し、一転、清国から賠償金を獲得して撤兵した。この年の6月にはロシアの脅威に備え、平時は開拓農民として働き、戦時には兵隊となる屯田兵制度を創設、一方、翌明治8年には樺太千島交換条約を締結して領土問題を決着させることに成功した。

 

【参考年表】

・1月 民選議員開設の建白書提出される

・2月 佐賀の乱

・4月 板垣退助ら立志社を設立

      台湾出兵

・5月 大阪~神戸間に鉄道開業

・6月 屯田兵制度が創設

・10月 株式取引所条例

 
 

​第122代天皇・明治天皇(睦仁、在位1867~1912)

太政大臣 三条実美