前年の明治7年1月に、征韓論で敗れた前参議・板垣退助、後藤象二郎ら高知県人が、政府に対して「民選議院開設の建白書」を提出し、議会/国会を開設せよとの第一声をあげた。2月には佐賀県で不平士族の騒動(佐賀の乱)に、征韓論者で同じ佐賀県人の元司法卿の江藤新平、政府からは島義勇(よしちか、開拓使主席判官)が派遣されたが、政府の高圧的態度に義憤した両人が、内務卿の鹿児島県人の大久保利通の策謀で「反乱」とされ、島が逮捕されて処刑される事件が勃発した。さらに4月には板垣退助らが高知に政治結社「立志社」を設立して反政府活動を開始した。年が明けた明治8年に分裂した政権の修復が試みられ、政権にあった井上馨の斡旋で伊藤博文、大久保利通、野に下った板垣退助・同じく台湾出兵に異を唱えて野に下った木戸孝允が大阪の料亭「加賀伊」(後の花外楼)で手打ち(大阪会議)し、立憲体制を整えることで一致して政権の内紛が終了、4月には天皇から「立憲政体の詔」がだされ、元老院(後の貴族院の前身)・大審院(戦前の最高裁判所)が置かれることとなった。

 

【参考年表】

・1月  大阪会議(大久保・木戸・伊藤・板垣ら)

・4月 「立憲政体の詔」が天皇からだされる

     元老院・大審院が置かれる

・6月 新聞紙条例・讒謗律が公布

    地方官会議が開かれる

・9月 金禄公債が発行される

 
 

​第122代天皇・明治天皇(睦仁、在位1867~1912)

太政大臣 三条実美