日清戦争直後の三国干渉で日本が手放した遼東半島の旅順港を、干渉した当のロシアが清国から租借してポート・アーサーと改め、遼東半島を要塞化したことに日本は黙って座視できず、朝鮮半島にも触手を伸ばす気配を強く感じ取った桂太郎内閣は、「大韓帝国の独立を堅固にする」を大義名分に、朝鮮半島における日本軍の軍事行動の自由と大韓帝国政府の便宜供与、さらに「施設改善」に関する日本軍の「忠告」(内政干渉権)を内容とする議定書(日韓議定書)を韓国と締結し、明治37年(1904)2月に日露戦争を開戦した。陸軍は朝鮮半島の仁川から北上して清国駐留のロシア軍に奇襲攻撃をかけ、海軍も仁川沖のロシア艦を奇襲して撃沈し、開戦の火蓋が切って落とされた。朝鮮半島は日本軍の進軍経路となり、局外中立を宣言する大韓帝国に対し、軍事力で圧倒する日本軍は、さらに8月に財政・外交の各部署に日本が推薦する者を「顧問」として置き、戦争に全面協力する仕組みを強要して(第一次日韓協約)満洲(中国東北部)に兵を進め、海軍は出口が狭まっている旅順港の湾の入り口に、日本から持ち込んだ老朽艦を爆破自沈させて、港を使えなくする作戦(旅順港口閉塞作戦)をとり、第一次旅順港閉塞作戦を開始、翌3月に第二次旅順港閉塞作戦、5月に至っても第三次旅順港閉塞作戦を継続し、多大な犠牲を払うこととなった。5月に陸軍が九連城を占領、8月には海軍が「黄海の海戦」で勝利、9月に陸軍が遼陽を占領、歌人の与謝野晶子が出征した弟を思い、反戦歌「君死に給ふこと勿れ」を雑誌「明星」に寄稿したのはそんな9月のことで、11月になってようやく陸軍は旅順港の背後の標高203Mの丘(二〇三高地)を占領して丘の上から港内の軍艦を砲撃する作戦(旅順攻囲戦)を展開し、乃木大将率いる第三軍が多大な戦死者を出して11月に二〇三高地を攻め落とし、12月には旅順港内のロシア艦隊をほぼ全滅させることに成功した。

 

【参考年表】

・2月 日韓議定書の締結

    日露戦争が勃発 第一次旅順港口閉塞作戦

・3月 第9回総選挙実施  第二次旅順港口閉塞作戦

・4月 タバコが国の専売制

・5月 九連城を占領 第三次旅順港口閉塞作戦

・8月 黄海の海戦

       第一次日韓協約

・9月 遼陽を占領 

    与謝野晶子が「君死にたまふこと勿れ」を発表

・10月 沙河の会戦

・11月 二〇三高地を占領

・12月 旅順港内のロシア艦隊が全滅

 
 

​第11代首相・第1次桂太郎内閣​

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/11.html

第9回衆議院議員総選挙(3/1)