日露戦争後の反動不況の中、前年の明治40年にハワイ移民が米国となったハワイ州を経由してさらにカルフォルニア移民としてアメリカ本土に渡る「転航」が禁止され、明治41年には日米紳士協定が結ばれて、日本が移民送出を自粛するかわりに、アメリカ議会が排日的な移民制限法をつくらないことをアメリカ政府が約束、ハワイへの新規の移民が事実上の禁止となった。それに代わって東京・横浜・神戸に新たに民間の「移民斡旋会社」が設立され、4月にブラジル移民者783人(うち沖縄県人327人)が笠戸丸に乗船、初のブラジル移民船が神戸港を出航した。ブラジルへ渡った日系ブラジル移民は炎天下のコーヒー豆栽培の低賃金労働者として重労働に耐え、日系ブラジル人1世となった。ハワイ移民、カルフォルニア移民、さらに明治32年に「佐倉丸」で790人の契約移民を送り出したペルー移民に次いで、大量移住先としてブラジル移住時代の幕開けであったが、翌明治42年1月には米国本土の排日気運を背景にカルフォルニア州議会で排日的な移民制限法案が可決されることとなった。

【参考年表】

 

・2月 議会で増税法案が可決

・4月 植民地の台湾に縦貫鉄道の開通

    初の移民船「笠戸丸」がブラジルヘ出航

・5月 第10回衆議院議員総選挙

・7月 第2次桂内閣組閣

・11月 移民船「笠戸丸」がブラジルに到着

・12月 朝鮮植民地経営の国策会社「東洋拓殖」が設立

 
 

第12代首相・第2次西園寺公望内閣​

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/12.html

第10回衆議院議員総選挙(5/15)

​第13代首相・第2次桂太郎内閣​

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/13.html