大正4年(1915)の1月、中国の袁世凱政府は日本政府に対して、日本が占領した山東省の青島の膠州湾の権益返還を要求した。それに対し、日露戦争でロシアから継承した旅順・大連の租借期限切れを目前にした日本政府は、山東省のドイツ権益の善後処理だけではなく、政治・経済・軍事に関して21ヵ条の要求を突きつけた。3月の衆議院議員選挙を挟んで、紛糾の外交交渉の結果、従来からの懸案であった満蒙における日本の権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題についても取り扱われ、21カ条の主なものが認められることとなった。一方、国内政界では10月に加藤高明(後の総理大臣)を総裁に「立憲同志会」「中正会」「公友倶楽部」の有志が野党連合の「憲政会」を結成し、与党の「政友会」「革新倶楽部」と共に軍部を牽制して同月に誕生した陸軍出身の非立憲(ビリケン)内閣の寺内正毅(まさたけ、第18代総理大臣)内閣と激しく対立し、大正期の大衆がこぞって参加した護憲運動は、明治期の自由民権運動を上回る大規模のものとなった。

 

 

【参考年表】

 

・1月 袁世凱政権が日本へ山東省からの撤兵要求

    日本政府が袁世凱政権に21ヵ条要求

    延期されていた大正天皇の即位式典(東京・京都)

    大隈改造内閣

・3月 第12回衆議院議員総選挙

・5月 袁世凱政権が21ヵ条要求を受諾

・8月 第1回全国中等学校野球大会(夏の甲子園)が開催

・10月 「大典記念京都博覧会」始まる

 
 

第16代首相・第1次山本権兵衛内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/16.html

第17代首相・第2次大隈重信内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/17.html

第12回衆議院議員総選挙(3/25)