大正9年(1920)の3月に樺太島(今のロシアのサハリン州)の対岸にある黒竜江(今のアムール河)河口の街ニコラエフスク(当時の日本表記は尼港、にこう)でロシアの革命民兵組織のパルチザン兵と日本軍が戦闘となって600人から700人の日本兵が戦死した。5月には日本から援軍が送られると知ったパルチザン兵が日本人捕虜を殺害し、陸軍守備隊及び日本人居留民を虐殺し、市街を焼き払う事件(尼港事件)が発生し、新聞各紙が大きく報じたことでロシア領の北樺太(今のサハリン州北部)への日本軍の進駐も止むなしの風潮が生じ、9月には東京で陸海軍省・外務省・文部省の3省共催で「尼港遭難実況博覧会」が始まった。その年の10月1日午前0時に、一度は予定されながら日露戦争の勃発で中止となった経緯のある「国勢調査」(外地で既に2回実施、国政調査は戦前に5回、5年毎に実施)第一回目が実施された。事前に多くのポスターが街頭や職場に張られ、周知絵葉書が発行されるなど、国民的行事として盛り上がり、全国民の生年月日・職業・地位・出生地・住宅事情などが調査され、当日の関東地方はあいにくの大雨、とりわけ京浜地方は大水が出て死者41人を出す悪天候だったが、国を挙げての一大イベントとなった。12月に公表された調査結果は全国(内地に住む人)の人口は5596万人(男2804万人 女2791万人)と判明し、東京市の人口は217万人、日露戦争後の急速な工業化と第一次世界大戦の大発展で「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪市の人口が258万人と判明、次いで神戸市・京都市・名古屋市・横浜市・長崎市・広島市・函館区(2年後に函館市)・呉市の順で日本10大都市と判明、日本の植民地だった台湾・朝鮮・南洋諸島などの外地人口2102万を加えた合計は7698万人と判明した。

 

【参考年表】

 

・1月  スペイン風邪(インフルエンザ)大流行

・2月  普選要求デモで大荒れ

・3月  普選案上程で議会解散

      戦後恐慌始まる(株式市場大暴落)

・5月    新渡戸稲造が国際連盟の書記局社会部長に

・6月  中央職業紹介所が東京神田に設置

・7月  南洋の旧独領の委任統治始まる

・10月  第一回国勢調査の実施 

     八・八艦隊建造計画で増税

・11月  第一回国際連盟総会

・12月  宮中某重大事件

 
 

第19代首相・原敬内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/18.html

​帝国議会解散(2/26)

第14回衆議院議員総選挙(5/10)

 
 
最初の国政調査❶

9月30日0時現在