昭和13年1月に近衛文麿首相は、「国民政府を相手にせず」と声明を発し、軍部内部で

台頭する「一撃講和論」に対し、国民党政府は首都を南京・武漢・重慶と移転させ、日本軍を消耗戦に持ち込む戦略をとり、戦争の長期化は必至となると、近衛内閣は、戦争遂行のために人的資源・物的資源を戦争目的に統制運用すべく「国家総動員法」の立法を考え、3月に衆議院の国家総動員法委員会で陸軍省の軍務課から佐藤賢了情報部長が趣旨説明を行ったところ、法案の精神に加え、自らの信念などを長時間演説した事に対し、立憲政友会の委員などが「やめさせろ」「討論ではない」と野次ったところ、黙れと一喝し、その後に退席したことで委員会は紛糾し散会となった。その後、陸軍大臣(杉山元)が陳謝するも当人にはお咎めなく、4月に広範多岐にわたる「国家総動員法」は公布され、翌月に施行となって日本は「戦時体制」となった。この年の阪神地方は6月6日から長雨続きで、7月になり3日間の集中豪雨となり、7月5日には神戸市内の川という川の全てが氾濫し、その水害被害は大阪地方まで及ぶ広範なものとなった(阪神大水害)。対応に迫られた政府は、すでに6月23日の閣議で戦争遂行以外の資材の使用を制限する需要計画を決定し、この中に五輪の中止が明記されていたことから、7月15日に2年後の東京オリンピックの自主返上・万国博の延期を正式に決定した。8月には前年締結の「日独防共協定」を記念して来日したナチス青年隊のヒトラーユーゲントが来日、東京・横浜・神戸・軽井沢などを訪問、秋には第一次近衛内閣は「東亜新秩序建設」の声明を出し、戦時経済統制の強化を目指した。

 

 

・1月 近衛首相「国民政府を相手にせず」(近衛声明)

    厚生省設置(現・厚生労働省)が設置

・3月 陸軍中佐(佐藤了賢)が議会で「黙れ」と恫喝

・4月 「国家総動員法」公布

    「電力管理法」公布

・5月 荒木貞夫陸軍大将が文部大臣に

・7月 東京五輪・万国博の開催中止を閣議決定

・8月 「陸上交通事業調整法」施行

    ヒトラーユーゲント来日

・11月 東亜新秩序建設を声明

・12月 興亜院設置

 
 

第34代首相・第1次近衛文麿

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/34.html