昭和16年12月2日、「ニイタカヤマノボレ1208(ヒトフタマルハチ)」と山本五十六連合艦隊司令長官は北太平洋上を航行する機動部隊に開戦日を知らせる暗号電報を送信した。

それから6日後の12月8日(現地時間7日午前7時49分)に「ト連送」と呼ばれる開戦電報を受電した海軍の6隻の航空母艦(空母)を含む機動部隊(南雲忠一中将・司令官)はアメリカ太平洋艦隊の根拠地・オアフ島のパールハーバー(真珠湾)に400機近くの戦闘機が奇襲攻撃をかけ、その3分後に奇襲攻撃成功を知らせる「トラ連送」(トラ、トラ、トラ)を戦艦「長門」が受電し、戦艦「アリゾナ」「オクラホマ」など8隻の戦艦を撃沈、20数隻に重大な損害を与え、また陸上の戦闘機約400機、アメリカ兵2300人を超す戦死者を出し、太平洋戦争が日本の大勝利で開戦した。実は、陸軍も真珠湾攻撃の直前に英領のマレー半島北部のコタバルに上陸して奇襲攻撃する「マレー作戦」を現地時間0時30分に開始し、イギリスとも戦争状態に突入した。すでに先月から頭に白髪が見られ始めた宮中の天皇は、皇祖皇霊に日米開戦を報告され、「三種の神器」を金庫の奥深くに収められ、皇太后を静岡県の沼津御用邸に疎開させられた。真珠湾攻撃の10時間後には、米領フィリピン北部のクラーク米軍基地を急襲して制空権を握り、早期にアメリカ・イギリスなどと停戦講和条約に持ち込んで、日本が勝ち取った領土を「大東亜共栄圏」として承認させようという短期決戦型の総力戦が開始した。12月10日に蘭領東インド(今のインドネシア)に侵攻を開始し、その当日の閣議決定で、このたびの戦争を全アジア民族の西洋支配からの脱却を大義名分とする「大東亜戦争」(支那事変を含むアジア太平洋戦争)と呼ぶことと決められた。

 

 

【参考年表】

 

・1月 東條陸軍大将「戦陣訓」を示達

・3月 松岡洋右外相の渡欧

・4月 6大都市で米穀通帳制度

     日ソ中立条約調印

・6月 独伊がソ連に宣戦布告

・7月 第3次近衛内閣の組閣

    南部仏印に進駐

・8月 野村ハル会談が始まる

・9月 ゾルゲ事件(スパイ事件)が発覚

・10月 米英蘭印のABCD禁油包囲網

    東条英樹内閣が組閣

・11月 真珠湾攻撃が決定

・12月 開戦の御前会議

 
 

第38代首相・第2次近衛文麿内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/38.html

​第39代首相・第3次近衛文麿内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/39.html

第40代首相・東条英機内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/40.html