すでに太平洋戦争が始まる2月ほど前の昭和16年10月に、大学生・高等学校生(旧制、今の大学1-2年生)、専門学校生の就業年限を6カ月短縮できる勅令が出され、昭和17年春卒業の学生を12月に卒業させる手立てを整えていた。ところが前年のミッドウェー海戦の大敗北で劣勢にたち、大反撃に転じた連合国軍の猛攻に「人的資源」に悩んだ軍部は、さらに学生の3年の修業年限を2年に短縮、昭和18年6月にいたっては「学徒戦時動員体制確立要綱」を閣議決定し、10月に「在学徴集延期臨時特例」を公布、学業継続を目的に延期が認められていた20歳以上の学生・生徒の徴兵猶予が全面停止、学徒の戦争動員が始まった。文科系学生を即席の兵隊に仕立て上げての戦地への投入で、東京では小雨の明治神宮外苑競技場(今の国立競技場)、大阪では中之島公園、神戸では東公園と出陣学徒の壮行会が各府県ごとに実施され、大正10年(1921)から大正12年(1923)生まれの約20万人の学生が対象となった。在籍のまま学徒として出陣が間近に迫る中、10月16日には早稲田大学の戸塚球場で非公式の出陣学徒壮行試合の「最後の早慶戦」が行われ、学年度央の12月1日に第1回の出陣学徒が陸軍の各部隊に入営、10日には同じく海軍へ入営となった。さらに12月24日には戦況悪化に伴う非常措置として、「徴兵適齢臨時特例」を公布、徴兵年齢を従来の20歳から1つ下げて19歳とし、この年の12月生まれから向こう1年間に19歳に達する18歳の若者も新たに徴兵検査とすることとした。徴兵された若者や少年志願兵が入営後に配属された海軍にはすでにのる軍艦は少なく、航空兵や陸兵として銃の打ち方訓練もそこそこに戦場に送り込まれることとなった。若者の多くの者が戦病死し、一部の学生は神風特攻隊に編入されて戦死するなど、最後の早慶戦で勝った早稲田大学の選手のうち、4人が戦病死することとなった。

 

【参考年表】

 

・1月 ジャズのレコード禁止

・2月 ガダルカナル島撤退

・4月 東條改造内閣の組閣

    山本五十六司令長官戦死

・5月 日本美術報国会が創立

    アッツ島で全滅

・6月 学徒の戦時動員要綱が決定

・7月 東京府→東京都に

     キスカ島撤退

・8月 ビルマ(現・ミャンマー)が独立

・9月 女子の勤労動員強化

            イタリアが無条件降伏

・10月  軍需会社法が公布

     学徒出陣壮行会

     大日本育英会(現・日本育英会)が設立

・11月  軍需省・運輸通信省・農商省が発足

     ラバウルで航空戦

             東京で大東亜会議

             カイロ会談(米・英・中)

     テヘラン会談(米・英・ソ)

・12月  徴兵年齢が1才引き下げ(19才に)

 
 

​第40代首相・東条英機内閣

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/40.html