昭和19年(1944)8月に沖縄県の疎開学童を乗せた「対馬丸」が長崎に向かう途上、米軍の魚雷で沈没し、学童738人を含む1508人が死亡した(対馬丸事件)。10月10日には太平洋艦隊の第3艦隊が台湾沖に侵入、艦載機が沖縄本島を始め、奄美諸島、宮古島に攻撃をかけ、本土空襲に先立つ大空襲により、沖縄の那覇市市街の90%が壊滅した。(十・十空襲)昭和20年3月25日に沖縄上陸作戦(アイスバーグ作戦)を計画した米軍は補給基地確保のため、沖縄本島南西の慶良間列島に上陸、さらに4月1日に沖縄本島の中部西海岸の嘉手納海岸に数百隻の上陸用舟艇で上陸したが、沖縄戦を事実上の本土決戦とみる海軍、本土決戦の単なる前哨戦と位置づける陸軍との戦略上の対立から、そこには日本軍の姿はなく、午後2時には島中央の読谷、嘉手納の両飛行場が米軍になんなく占領され、米軍の上陸を機に、小磯國昭内閣は指導力を発揮することなく在任8ヵ月の短命で退陣、元侍従長の鈴木貫太郎(戦前最後の第42代総理大臣)が鈴木内閣を組閣した。米軍が約18万の兵力を投入し、「火と鉄の暴風」と呼ばれた容赦のない艦砲射撃・空爆を行う米軍に対し、沖縄を守備する沖縄守備軍の第三十二軍(司令官は牛島満中将、参謀は桜会の長勇中将)は嘉手納の北飛行場、中飛行場を放棄し、首里城に軍司令部を置き、島の丘陵地の洞窟に立てこもる持久戦を展開した。一方、日本軍の「菊水作戦」が実施され、4月6日には特攻機による「菊水第一号作戦」を実施して沖縄を舞台に航空総攻撃を開始し、陸海軍は計2400機の特攻機を主力とする全航空兵力を結集し、特攻作戦と連動して、艦上攻撃機「天山」や陸上爆撃機「銀河」、海軍指揮下の陸軍雷撃隊に所属する四式重爆撃機「飛龍」などによる夜間雷撃戦、艦上爆撃機「彗星」12型などを主力とする芙蓉部隊、水上爆撃機「瑞雲」による夜間爆撃などが実施された。鈴木貫太郎内閣が組閣した4月7日には、広島県の呉軍港から沖縄に向けて片道燃料で水上特攻攻撃に出港した戦艦「大和」が沖縄に至る途上の九州南方海域で米空軍380機による猛攻撃で撃沈された。5月24日には陸軍の「義烈空挺隊」が北飛行場・中飛行場を強襲するも全滅、31日に首里城は米軍の手に落ち、日本軍、軍と一体となった沖縄島民は次第に島の南端に追い詰められ、6月22日に糸満市摩文仁(まぶに)洞窟で牛島軍司令官・長勇参謀長が自決、14歳~17歳の中学生で結成された「鉄血勤皇隊」・積徳高等女学校の生徒からなる「積徳学徒隊」・沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の女学生222人が沖縄陸軍病院の看護要員として結成した「ひめゆり部隊」らも翌日の6月23日(慰霊の日)に沖縄守備隊の軍人、自決用手榴弾を手渡された民間人、が軍の命令で集団自決し、7日2日に米軍が地上戦の終結を宣言、日米に20万人を超す戦死者を出し、県民の4人の1人が戦病死した3カ月の沖縄戦は終了した。

 

 

​【参考年表】

 

・1月  大阪・名古屋・浜松・東京など空襲

・2月 東京・名古屋・神戸など空襲

    米軍が硫黄島に上陸

    ヤルタ協定

・3月 東京大空襲

     朝鮮総督府令の発令(徴用工・女子勤労挺身隊・軍属など)

・4月 米軍が沖縄に上陸

    小磯内閣総辞職、鈴木貫太郎内閣が組閣

    ムソリーニ処刑、ヒトラー自殺

・5月 ドイツ無条件降伏

    東京空襲、皇居炎上、横浜大空襲

・6月 最高戦争指導会議で本土決戦を決定

    沖縄の日本軍全滅

・7月 アメリカ、ニューメキシコ州で原爆実験

    ポツダム宣言(米・英・中)

・8月 6日 広島に原子爆弾投下

     8日 ソ連、対日宣戦

     9日 長崎に原子爆弾投下

    10日 ポツダム宣言の天皇受諾決断

       14日 敗戦の大詔下る

     15日 終戦大詔がラジオ放送される

 

 

 

 
 

​第41代首相・小磯国昭内閣​

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/41.html

昭和20年4月5日 小磯国昭内閣が総辞職

昭和20年4月7日鈴木貫太郎内閣組閣

​第42代首相・鈴木貫太郎内閣​

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/42.html

http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/44.html

帝国議会解散(12/18)